2007年01月07日

「三角合併」から日本の会社と日本人の財産を守れ! 文春新書「金より大事なものがある」を読む。

総務省の「2ちゃんねる」や「ブログ」を「ネット言論統制法案」施行の動きを多くの国民に知らせるために日本最大のブログサイト「人気blogランキング」のランキングにも参加することにしました。
人気blogランキングへ
JRANK BLOGRANKING
金より大事なものがある、そう思う方はクリックしてください!
 また、このブログの記事は2007年1月7日に書かれたもので、未来の日本のためにネットを通じて情報を発信しています。2007年1月7日以降に、この記事に何かを感じた方はクリックをお願いします!

総務省の「ネット規制」の動きを多くの国民に知らせるために「にほんブログ村」のランキングにも参加することにしました。
にほんブログ村 政治ブログへ

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

 東谷暁著「金より大事なものがある 金融モラル崩壊」(文春新書)を読んだ。「三角合併解禁」というのは、日本人でしかも東大まで出ているホリエモンや村上世彰氏に「お金儲け、悪いことですか」と言わせたM&A(企業買収・合併)を加速する会社法や税制の改正である。(詳細は是非お買い求めの上、ご覧下さい。必読です。)
 以下同書より一部抜粋。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 世界規模の激しいM&Aの中で、日本においては2007年5月の「三角合併解禁」がひとつの転換期になろう。
 「三角合併」とは外資系企業が日本に子会社を作り、その子会社が日本の企業を合併するさいに親会社の株式を用いる方法で、これが解禁になれば株式時価総額の大きい外資系企業が日本企業を合併することは容易になる。・・・略・・・
 最近M&Aに関する入門書などを見ていると、ライブドアのニッポン放送買収騒動に震え上がって解禁を一年延期したのは、羮に懲りて膾を吹くようなもので、全く無意味だったという説が流布されるようになった。・・・・略・・・・
 しかも、日本政府はさらに、外国企業による日本企業の「三角合併」を容易にする算段をしているのだから呆れる。どうやら日本政府は、日本企業をなるたけ安く外資に買い叩いてもらいたいらしいのだ。・・・・略・・・・
 現在のような、投資銀行や投資ファンドがM&Aを繰り返す世界経済の仕組みが変わることは、当面、期待できない。・・・・略・・・・
 しかし、だからといって、日本がそのまま丸ごとアメリカの「ファンド資本主義」を受け入れるべきだということにはならない。・・・略・・・すでに述べてきたように、アメリカ経済と日本経済は、その構造においてあまりにも異なっているからだ。
 まず、アメリカ経済の牽引車となっているのは、金融産業と情報技術産業であり、いずれも強引な政治力によって、世界に対し支配的な影響力を維持している。一方日本経済の牽引車となっているのは、いまも液晶テレビや自動車などの製造業である。製造業というのは性格上、あまり激しい金融上の変動があるのは好ましくない。・・・略・・・
 また、アメリカ経済の場合、技術革新が生まれるのはベンチャーと軍需産業が中心だが、日本経済の技術革新はいまも大企業が担っている部分が多い。激しいM&Aが横行すれば、R&D(研究開発)費が低下し、技術革新のコア・コンピタンス(【core competence】 企業が競合他社に対して圧倒的に優位にある事業分野や,他社にはない独自の技術やノウハウを集積している中核となる部門。)が買収された企業の組織解体のために失われる危険が高い。
 しかも、激しいM&A時代を経ていない日本には、株式総額より精算価値の方が高い企業も多く残っている。つまり、株式をすべて買い付けても、買収後に部門や施設をバラ売りすれば儲かるほど多くの資産をもつ企業が、まだたくさんあるということだ。・・・略・・・
 アメリカはこの二十数年、「株式資本主義」を徹底することで、敵対的買収を原則として認め、そのかわり防衛策も認める方針でやってきた。しかし、先進諸国のすべてがアメリカと同じ考え方だと思うのは間違っている。・・・略・・・
 たとえばドイツは、敵対的買収については原則的に制限を加え、敵対的買収が始まる以前に防衛策を決めておく場合と、敵対的買収が始まってからの防衛策には異なる条件を課するというやり方でM&A時代に対応しようとしている。
 イギリスの場合、防衛策を認めない代わりに、もし敵対的買収を始めたら、全部の株式を購入しなくてはならない。また、そのための資金はすべて現金という「シティーコード」がある。・・・略・・・
 さらにドイツのようにステークホルダー(企業の利害関係者)の範囲を、株主だけでなく社員や経営陣をも含めたものとして捉え直すことも必要だ。そもそも日本はこの考え方で長い間企業を運営してきた。すべてを株主だけで評価するようになったアメリカ金融資本主義の「病理」をいまさら真似る必要は少しもないのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 実は、あれはシナイ山なのだと言われた現在の1000円札の湖に映った富士山といい、まるでロボットのような現在の10000円札の鳳凰といい、中央銀行にはユダヤ陰謀説や、フリーメーソン陰謀説、ドイツの結社イルミナティによる乗っ取り説まであるそうですが、そんな噂が立つ理由の一つに日本と言う「国家の品格」を全く感じないような戦後の日本銀行が発行する紙幣のデザインにあります。
 一方、戦前のお札は戦後の薄気味の悪いお札と比べて日本らしくはるかに立派で国家の品格が漂い、例えば時の称徳天皇に代わり弓削道鏡が皇位を継承しようとしたのを阻止した和気清麻呂公や、道鏡が手先を遣って清麻呂を暗殺しようとした瞬間300匹も現れ彼を守った、猪がデザインとなっています。
 あ、イノシシってそう言えば今年の干支でしたね。皇室にとって今年はきっと縁起の良い年になるのではないでしょうか。
 それはそうと、やはり昔の日本銀行の人たちは、愛国心に溢れていたということがお札を見ただけでも分かるのではないでしょうか?
 さて、話は「三角合併」の話に戻りますが、「規制緩和」を正当化してきた論理とは、「富の最大化は正義」すなわち「一番金が儲かることが正しい」と主張する人間が経営者でしかも裁判官や弁護士を兼ねているような「金儲け至上主義社会」をまさに肯定するものであると同書は警告していますが、「親米」でなければ「親中」あるいは「親韓」ばかりのエリートを見るにつけ、戦後の自国の歴史や伝統を大切にしない亡国の教育を思うとき、自国の国益をしっかり主張できる政治家や官僚は、この国に一体何人残っているのだろうか、と心配でたまらなくなってしまうのです。
 
(参照:「Speak Easy 社会」)
目隠しを捨て去り、地球と人類の真相−深層に迫ろう! 「社会経済版」より。

http://blog.livedoor.jp/manasan1/archives/50342915.html  

総務省の「2ちゃんねる」や「ブログ」を「ネット言論統制法案」施行の動きを多くの国民に知らせるために日本最大のブログサイト「人気blogランキング」のランキングにも参加することにしました。
人気blogランキングへ
JRANK BLOGRANKING
金より大事なものがある、そう思う方はクリックしてください!
 また、このブログの記事は2007年1月7日に書かれたもので、未来の日本のためにネットを通じて情報を発信しています。2007年1月7日以降に、この記事に何かを感じた方はクリックをお願いします!

総務省の「ネット規制」の動きを多くの国民に知らせるために「にほんブログ村」のランキングにも参加することにしました。
にほんブログ村 政治ブログへ

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
posted by 無名 太郎 at 21:00| 東京 🌀| Comment(0) | TrackBack(0) | 格差社会を切る! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月29日

子どもに「弱い者いじめ」をするなというのなら、格差社会における消費税アップや定率減税廃止等の大人に対する「弱い者いじめ」もやめさせよ!

JRANK BLOGRANKING
マスコミは学校で「弱い者いじめ」をするなというのなら、大人の格差社会における消費税アップや定率減税廃止などといった「弱い者いじめ」政策についてもしっかり非難すべきだ、そう思う方はクリックしてください!
また、このブログの記事は2006年11月29日に書かれたもので、未来の日本のためにネットを通じて情報を発信しています。2006年11月29日以降に、この記事に何かを感じた方はクリックをお願いします!

 小泉首相はたしか慶應大学の経済学部に入学後イギリスに留学しているという話だ。
 竹中平蔵元金融担当大臣も一橋大学経済学部を卒業後やはりアメリカの大学に留学したという経歴を持ち主である。
 両氏を見て感じるのは、日本人が海外に留学するとまるで日本人であることを忘れたかのように、外国贔屓になることだ。それは、中国留学や韓国留学も例外ではない。
 外国語に堪能になることで何が素晴らしいことかと言えば、やはりその国の言葉で日本人の性格や日本の歴史や伝統文化の素晴しさなどの宣伝ができることではないかと思う。
 例えば、英語の日本紹介本でも新渡戸稲造の「武士道」や岡倉天心の「茶の本」などは英語で日本文化を海外に発信するという意味で明治の日本を知らせるという意味で大きな役割を果たしており、その内容も今読んでも人の心をうつものがある。
 けれども、最近はと言えば、例えば皇室典範の変更でも話題になった女性学者など、外国に留学などした外国語に堪能な学者の方々が、どちらかと言うと外国文化には敬意を払いなるほど詳しいのだが、日本の伝統文化には敬意を払っていないのではないかと感じたり、ましてや日本文化に対しては発信に興味がないどころか知識さえないのでないか、と感じることが多い。
 そうした外国かぶれや外国語かぶれで日本を知らない日本人は、国家の品格の著者である藤原正彦氏が言うように、日本人が外国語が堪能でも日本について語ることが出来ないのなら、それは無知の日本人と少しも変わりはないのではないかと思う。
 ところで、週刊朝日12月8日号が『日経が持て囃す「いざなぎ超え」の虚妄』と題する記事を掲載していた。
 同誌によれば、11月22日に、太田弘子経済財政担当相は「いざなぎ超え」を表明した、と言う。
 しかし、同誌は楽天証券経済研究所客員研究員の山崎元氏の、発表を鵜呑みにできないと言う意見を伝えている。
 また同誌は、市場原理主義(ネオリべリズム)への批判を続ける経済評論家の内橋克人氏による、今回の景気拡大は実体を伴わない「カラ景気」だという批判を伝えている。
 すなわち、同誌によれば、
名目GDPの伸び    
いざなぎ→2.2倍  今回→1.04倍
企業の経常利益伸び率
いざなぎ→30.2% 今回→10.8%
月給の伸び率      
いざなぎ→79.2% 今回→−1.2%(マイナス)
という有様で、「いざなぎ超え」からはほど遠い実体であることが浮き彫りになった。
 いずれにしても、作家高杉良氏も指摘するように、「小泉・竹中路線がグローバリズム、アメリカンスタンダードをどんどん採り入れ、日本を格差社会にしてしまった。」のは間違いないようである。
 しかも、同誌が指摘するように「いざなぎ超え」で賃金が伸びないサラリーマンには来年の所得税や個人住民税の定率減税廃止が待ち受けている。
 それは政府が一般庶民の暮らしばかりを狙い撃ちにし、一部の金持ちや企業ばかりを優遇するという露骨な格差社会支援政策を行っていることを意味する。
 マスコミももし本気で学校で「弱い者いじめ」をするなというのなら、大人の格差社会における消費税アップや定率減税廃止などといった「弱い者いじめ」政策についてもしっかり非難すべきではないだろうか?
 
マスコミは学校で「弱い者いじめ」をするなというのなら、大人の格差社会における消費税アップや定率減税廃止などといった「弱い者いじめ」政策についてもしっかり非難すべきだ、そう思う方はクリックしてください!
また、このブログの記事は2006年11月29日に書かれたもので、未来の日本のためにネットを通じて情報を発信しています。2006年11月29日以降に、この記事に何かを感じた方はクリックをお願いします!




posted by 無名 太郎 at 23:09| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 格差社会を切る! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月14日

三浦展著「難民世代」を読む。 「ニート」や「フリーター」が悪いのか?そんな社会が悪いのか?

JRANK BLOGRANKING
ニートやフリーターが悪いのではない、巨大な組織「NHK」を温存したりするなど、日本のエリートたちが自分たち少数だけがもうかる古い世の中の仕組みを変えようとしない極めて非民主主義的な日本社会全体の仕組みが悪いのだ、そう思う方はクリックしてください!
また、このブログの記事は2006年11月14日に書かれたもので、未来の日本のためにネットを通じて情報を発信しています。2006年11月14日以降に、この記事に何かを感じた方はクリックをお願いします!

 「難民世代 団塊ジュニア下流化白書」(三浦展著:生活人新書 NHK出版)を読んだ。 同著は流行語となった「下流社会」の著者三浦展の手によるものである。
 非常に特徴的なのは、多くの数字を理論の根拠に使っていることである。
 ただ、数字を上げてはいるものの、「下流の団塊ジュニアほど自民党が好き?」とか「小泉支持者は勝ち組とフリーター」、あるいは「若いフリーターと無業は小泉政治が好き」、「日本とアメリカとサッカーが好き」、さらには「団塊ジュニアはナショナリズムが強い」、「男性の非正社員の8割は下流」というような分析の仕方と結論の出し方には同意ができない部分が多かった。
 たとえば、上記の「タイトル(命題)」に逆に(下流)の代わりに(上流)を、(好き)の代わりに(嫌い)を、「(上流)の団塊ジュニアは自民党が(嫌い)」などと当てはめていくと、筆者の潜在的意識が見えてくるような気がしたからだからだ。
 すなわち、逆の言葉をあてはめていくと、著者による若者の分析にはどうしても潜在的にいわゆる「ネット右翼」に対する、どこかエリートが持っているような偏見があるように感じたからだ。(私の感じ方が間違っているかもしれないが・・・)
 私はニートやフリーターという呼び方はやはり上から人を見下ろした呼び方であるという理由で反対であり、そうした人たちの出現の責任は、例えばテレビ局を自由に作らせなかったり、受信料を強制徴収する強大な組織であるNHKを温存したりするなど、日本のエリートたちが自分たち少数だけがもうかる古い世の中の仕組みを変えようとしない極めて非民主主義的な日本社会全体の仕組みにあると思っている。
 さらに、その責任は企業がしっかり賃金を従業員に払っていこうとせずに、できるだけ「非正規雇用」を増やすことで人件費を安く抑え金儲けに走る経営者たちの利己主義にあると思っている。
 仮に、フリーターであれ、パートタイマーであれ、結婚も十分に出来る収入がもらえるのならば、そのような差別的とも言える言葉は生まれてはこないだろう。
 だが、同著の中で面白いと思ったのは漫画「ドラえもん」が日本の未来を、すなわちフリーター時代もバブル経済とその崩壊も予言していたと言及している部分だ。
 「・・・略・・・しかし、ここで重要なのは、その予知能力のすばらしさではなく、のび太の運命があらかじめ決まっているという設定の方である。
 百年後の孫の孫の話を聞き、のび太は生きる希望を失う。のび太が将来結婚するのは、あこがれのしずかちゃんではなく、ジャイアンの妹のジャイ子だからだ!・・・略・・・」
 「・・・略・・・東京郊外(おそらく練馬区)の中流家庭に生まれたのび太は、実に下流的な意識の持ち主である。だから、しずかちゃんと結婚することはないし、一流企業の社員になることもない。それは大げさに解釈すれば、まさに階層格差の固定化を示している。・・・略・・・」
 この部分を読んだ時、日本の学校では「人間はみな平等」と教えているが、実は私の子どもの頃からすでに「親の経済格差と上昇志向」も含め全く平等ではなかった、という世の中の仕組みについて痛いほど分かるようになった今の私には身につまされる部分があった。
 また、筆者がありふれた「中流家庭」として、そして「下流的な意識の持ち主」として「練馬」という固有名詞で指摘していたのはあまりにも的確な表現であり、驚かされた。
 それにしても、どうして新潟出身の著者が、「練馬大根」で知られ、戦後田舎から多くの農民なども移り住んだ都市とも言われる新興都市「練馬」を挙げたのだろうか?


JRANK BLOGRANKING
ニートやフリーターが悪いのではない、巨大な組織「NHK」を温存したりするなど、日本のエリートたちが自分たち少数だけがもうかる古い世の中の仕組みを変えようとしない極めて非民主主義的な日本社会全体の仕組みが悪いのだ、そう思う方はクリックしてください!
また、このブログの記事は2006年11月14日に書かれたもので、未来の日本のためにネットを通じて情報を発信しています。2006年11月14日以降に、この記事に何かを感じた方はクリックをお願いします!
posted by 無名 太郎 at 21:12| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 格差社会を切る! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月07日

「格差社会」から「希望格差社会」へ。 政府は日本の若者から「機会の均等」を奪うな!

JRANK BLOGRANKING
今の日本は平等だとは全く思わない、「出自(親の能力・資産等)」による「格差社会」の到来を感じる、そう思う方はクリックしてください!
また、このブログの記事は2006年11月7日に書かれたもので、未来の日本のためにネットを通じて情報を発信しています。2006年11月7日以降に、この記事に何かを感じた方はクリックをお願いします!

 中野雅至著「格差社会の結末 富裕層の傲慢・貧困層の怠慢」(ソフトバンク新書)を読んだ。同氏は本著の中で日本の「格差社会」を以下の様に指摘する。


 先進国は政治体制としては民主主義、経済体制としては資本主義体制をとっている。・・・略・・・民主主義と資本主義は本来調和しない「水と油」である。・・・略・・・
 そのため、自由・民主主義社会においては「自由と平等が両立する」ように様々な工夫をこらしてきたわけである。
 例えば、1人の人間が持てる能力と運を使って莫大な富を築けば、その個人には能力に応じた税負担を行わせ、その税金を貧困そうなどに再配分することで「自由と平等」が両立するようにしてきた。・・・略・・・
 このように矛盾する自由と平等を理論的に支えてきたのが、有名なロールズの「正義論」である。ロールズは自由と平等を両立させる「正義論」として二つの原理を導き出した。
 一つ目の原理は、各人は自由に対する平等な機会を持つ(=機会の均等)というものである。
 二つ目の原理は、「格差原理」と呼ばれるもので、個々人間の格差は「その格差が最も恵まれない人の利益になると期待される場合にのみ許される」という考え方である。・・・略・・・
 自由と平等という本来両立し難いものを両立させた理論は、世界的にも大きな影響力を持ってきた。しかし佐伯(2005)も指摘しているように、ロールズの正義論は80年代以降急速に影響力を失っていく。・・・略・・・ロールズが想定できなかったようなものすごい格差が発生してしまったわけだ。・・・略・・・
 今わが国においては後者【注1参照】の機会均等の確保が危うくなりつつあることが懸念されている。・・・略・・・
 しかも若年層の格差が拡大しているために、このような傾向が今後益々強まるという懸念まで起きている。特に今現在の20・30歳代の若者が壮年に達した時、逆転できないレベルにまで格差が拡大し、若者が希望さえも失う「希望格差社会」の到来が懸念されている。そうなると、「東大生の子どもは東大生」「医者の子どもは医者」「フリーターの子どもはフリーター」というように、格差が世代を超えて受け継がれていく「階層の固定化」にまで至り、機会の均等が実質的に消滅することになるからである。・・・略・・・
【注1:後者とは「出自(親の能力・資産等)」を指す】
(「格差社会の結末 富裕層の傲慢・貧困層の怠慢」 中野雅至著 ソフトバンク新書)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 戦後の日本は国民の多くが共に貧しかったせいもあるが、個人の「機会の均等」がかなりの程度保証されるような、すなわち「出自(親の能力・資産等)」よりも本人の能力が生かすことができるような社会作りのために官僚も含め日本のリーダー達は頑張っていたのではないかと思う。
 それは日本のエリート達の中にも「自分だけが豊かになろう」という精神ではなく、日本人らしい「和」を重視した「ロールズの正義論」が言うような「日本人みんなで豊かになろう」という精神が満ちあふれていたからだと思う。
 たしかに、そうした精神は一見馬鹿馬鹿しいような戦後のお涙ちょうだいのドラマを数多く生み出した面もあったかもしれないが、当時の日本人は今の日本人よりははるかに涙もろくて人間的だったと言えるのだ。
 だから、そうした時代においては、「試験だけできる奴」とか「競争第一主義者」は社会から尊敬されなかったし、ましてや今問題になっているように、「試験至上主義」のために多くの学校や教師が「必修科目の履修」を怠るといった「学問の本質」延いては「人生の本質」を見失ってしまうなんてことは考えられないことだったのである。
 とにかく、本著にも示されているが、この1980年代以降のジニ係数(注2参照)の上昇にもはっきりと現われているように日本の「格差社会」が拡大しているが、今のうちに何とかしないと、中野雅至氏が言うような若者が全く希望が持てないようなどうしようもない「希望格差社会」を生み出しかねない危機的な状況にあることが明白であり、「消費税」を含めた税制の抜本的な見直しが必要な時期にきているようだ。

【注2:ジニ係数】
ジニ係数(Gini coefficient または Gini's coefficient)とは、主に社会における所得分配の不平等さを測る指標。ローレンツ曲線をもとに、1936年、イタリアの統計学者コッラド・ジニによって考案された。所得分配の不平等さ以外にも富の偏在性やエネルギー消費における不平等さなどに応用される。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
JRANK BLOGRANKING
今の日本は平等だとは全く思わない、「出自(親の能力・資産等)」による「格差社会」の到来を感じる、そう思う方はクリックしてください!
また、このブログの記事は2006年11月7日に書かれたもので、未来の日本のためにネットを通じて情報を発信しています。2006年11月7日以降に、この記事に何かを感じた方はクリックをお願いします!
posted by 無名 太郎 at 20:25| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 格差社会を切る! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

「正規雇用システムの液状化現象」がもたらす「格差社会」を阻止せよ! 「労働ダンピング」−雇用の多様化の果てに(中野麻美著:岩波新書)を読む。

JRANK BLOGRANKING
日本の政党の多くはあるいは日本のメディアは何故か、自国民の利益よりも外国人の利益を代弁し、「移民労働者」や「外国人労働者」を受け入れに積極的で、受け入れの際の「言葉や文化の壁」の問題を軽視し、あるいはそれがもたらす日本人労働者に対する「労働ダンピング」の問題には一向に無関心である、そう思う方はクリックしてください!
また、このブログの記事は2006年10月27日に書かれたもので、未来の日本のためにネットを通じて情報を発信しています。2006年10月27日以降に、この記事に何かを感じた方はクリックをお願いします!

 『中野麻美「労働ダンピング」−雇用の多様化の果てに』(岩波新書)から。
 非正規雇用化が、女性労働の分野を超えて若者を中心として男性にもかなりの勢いで広がっていった背景には、1995年の日経連(当時)による『新時代の「日本的経営」』が雇用政策を大きく転換させたことがある。
 これは、従来の年功序列型賃金と定年までの雇用を保障した日本型雇用システムを転換させ、社員層を、@ごく少数の企業経営の基幹を担う「長期蓄積能力活用型」、A専門的な知識や経験を生かす「専門能力活用型」、そして、B定型業務を中心に担わせる「雇用柔軟型」、に三グループにわけて管理し、活用するという方向を示すものだった。・・・略・・・
 こうした雇用政策に即して労働分野における規制緩和もすすみ、1997年から2001年にかけて、正社員は170万人削減され、非正社員は200万人増えた。・・・略・・・
 安上がりな非正規雇用は、価格競争を通じて正社員常用労働者を駆逐していく。・・・略・・・とくに女性の常用代替と非正規雇用化、若者の非正規雇用化が目立つ。
 いま論じられている格差問題に大きな関心が集まっているのは、働き手自身が雇用における「上流/下流」「勝ち組/負け組」といった二極化を実感させられているからだろう。
 「格差も悪いことではない」という考え方は一般論として否定すべきではないのかもしれないが、問題は現代社会が直面しているのはただの「格差」ではなく、深刻な「貧困化」を伴うものであり、それがきわめて不合理な差別を含んでいるということにある。富める者の他方の極に生み出されている「貧困化」とは、いくら働いても自立して生きられない低賃金労働や、生活できる水準の収入を得るために死ぬほど働かなければならない長時間労働の拡大である。(「はじめに」より抜粋)
 このまま対策が講じられなければ、仕事と所得の格差はもっと拡大するだろう。学歴別・男女別の賃金データを根拠に、賃金格差はそれほど拡大していないという意見もあるが、国連の調査によると、日本の貧困率は深刻だ。1人当たりの国民所得は世界第4位(2003年)だが、所得の中位置の半分にも満たない世帯の全体に占める割合を示す貧困率は15.3%で、メキシコ、米国、トルコ、アイルランドに続く世界第5位、子どものいる世帯における貧困率は12.9%で、世界7位である。・・・略・・・
 2004年の段階で、女性労働者の半数を超える人が非正規で働いており、男性でも15歳から24歳の若い世代の40%程度が非正規で働いていると言われている。・・・略・・・正規で働く人たちを巻き込んだ大規模な貧困化の対極に、ほんの一握りの裕福な人々がいて、その格差が世代を超えて拡大する現実になりかねないのだ。
(第二章 ダンピングの構造「4 拡大していく貧富の格差」より抜粋。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「教育基本法改正」も確かに大切だが、日本政府が一刻も早く手を付けなければならない問題が、「格差社会」の是正である。
 サラ金やパチンコの長者が溢れ、低賃金で働かされる「美しくない国」日本を若者に愛せよと言うのは酷というものだろう。
 そして、そのためには真に「美しい日本」を目指す必要がある。
 たとえば、法人を真に国民の幸福に役立っている法人と、そうでない法人に分類することも有効な手段ではないだろうか?
 すなわち、社会的貢献度の高い法人に対する優遇税政策を実施すると同時に、多くの国民の幸福の追及に役立っているとはとても思えないようなサラ金やパチンコ、あるいは宗教法人などに対しては、たとえば代表個人の利益の上限をせいぜい1億円程度にまでなるように、それを超えた収入には高い累進課税を適用し、その利益を国民に還元するなどの経済政策が求められる。
 私がそう主張するのは、日本の未来に大きな責任があるはずの財界人や企業家などのリーダーたちが日本と日本人の幸福を忘れ、自己の「短期的な利益」にばかり心を奪われているからであり、それが日本の財界の「移民労働者」や「外国人労働者」を無制限に受け入れようとする風潮となって現われ、その原因で労働条件を含め「正規雇用の値崩れや価格破壊」という「労働ダンピング」の大きな要因となっているからである。
 その結果、我が国では、いわゆる「グローバル化と規制緩和」によって引き起こされた「正規雇用システムの液状化現象」によって「格差社会」が極めて深刻となり始めている。
 この問題について考える時憂鬱になるのは、我が国には「市場原理主義」に邁進しているかに見える「自民党」ばかりか、与党の一員である「公明党」はおろか「民主党」や「社民党」など多くの政党が、何故か自国民の利益よりも外国人の利益を代弁し、「移民労働者」や「外国人労働者」の受け入れに積極的で、受け入れの際の「言葉や文化の壁」の問題を軽視し、あるいはそれがもたらす日本人労働者に対する「労働ダンピング」の問題には一向に無関心であるかに見えることだ。
 おそらくは日本の各党のそうした主張こそが今回の補選でも有権者を悩まし、あるいは来年の参議院選で政党を選択しようとする際にも、多くの国民が最も迷い悩む問題ではないだろうか?

JRANK BLOGRANKING
日本の政党の多くはあるいは日本のメディアは何故か、自国民の利益よりも外国人の利益を代弁し、「移民労働者」や「外国人労働者」を受け入れに積極的で、受け入れの際の「言葉や文化の壁」の問題を軽視し、あるいはそれがもたらす日本人労働者に対する「労働ダンピング」の問題には一向に無関心である、そう思う方はクリックしてください!
また、このブログの記事は2006年10月27日に書かれたもので、未来の日本のためにネットを通じて情報を発信しています。2006年10月27日以降に、この記事に何かを感じた方はクリックをお願いします!
posted by 無名 太郎 at 23:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 格差社会を切る! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

文部科学省の「ゆとり」教育に騙され続けた日本国民。 迫り来る「ネオ階級社会」を阻止せよ!

JRANK BLOGRANKING
現在の日本の経済格差の大きい「ネオ階級社会」を元の機会均等な社会に戻すために多くの労働者が「ネオ階級社会」阻止に立ち上がらなければならない、そう思う方はクリックしてください!
 
 「一億総中流」と言われた日本で格差が激しく広がっている。
 しのびよるネオ階級社会“イギリス化”する日本の格差(林信吾著 平凡社新書)によると、
 「総務省のデータによれば、2002〜03年度の我が国の一世帯あたり平均貯蓄額は1688万円ほどだそうである。ちょっと、ビックリした。」
 「総務省の統計を子細に見れば、調査対象となった世帯のうち、全体の3分の2は平均(1688万円)以下の貯蓄額しかない。人数的にもっとも多いのは250万円以上300万円以下という層で、全体の3分の1上を占め、200万円未満という層も13.5%に達する。
 一方で、3000万円以上の貯蓄を持つ世帯も15.2%に達し、4000万円以上という層も、1割ほど(9.7%)存在するという。」
 それはまさに日本のイギリス化と言うべき日本におけるネオ階級社会の出現であると言う。
 そうした日本のネオ階級社会のエリートの生産を日本の中高一貫私立校が支えているが、イギリス階級社会を支えるエリートは大抵中高一貫の全寮制などのパブリック・スクールだと言う。
 同著によればパブリック・スクールはイギリス社会の階級的エリートの象徴とも言うべき存在であり、例えば『ハリー・ポッター』の魔法学校も、スコットランドの名門パブリック・スクールをモデルにしているということであり、初期のビートルズが、耳が隠れる程度の長さの、無造作に分けた髪型をして、ブレザーに細身のネクタイと言った服装で演奏していた姿も、やはりパブリック・スクールの伝統的なファッションであり、そのようなファッションでロックを演奏すること自体が、階級社会の伝統に対する一種のアンチテーゼを意味するものだったと言う。
 そして、イギリスでは、ある意味そうしたエリートの対極として労働者階級が存在し、労働者の子供は労働者になればいいと言う階級的な諦めの意味も含め、受験勉強など無縁の「ゆとり」教育が行われていると言う。
 つまり、同氏は、日本における文部科学省の『ゆとり』教育こそは、こうした格差社会を肯定的に認めるものであり、自分の子供は中高一貫私立校に入れながらも、一般の国民には教育に「ゆとり」を持って無理をして勉強する必要はないと言う『エリートの子供はエリートに、労働者の子供は労働者に』という「階級社会的発想」と結びついた考え方であると批判する。
 すなわち、文部科学省の「ゆとり」教育は「優秀な親からは、優秀な子供が生まれ育つに決まっている。逆もまた然り」と言う前提で、教育システムが語られること」であるばかりか、
 さらにそれは、「財産にも教養にも恵まれた親を持つ子が、名門とされる私立小学校に選抜され、エスカレーター式に名門大学に進む傾向は確立した。」という事実を肯定することであり、「『負け組』はもはや無用な向上心は持つな」とすり込むものだと切って捨てる。
 官僚を代表とする偏差値エリートたちにそうした考え方が生まれてくる背景には、現在の日本の偏差値エリートたちの「あれだけ勉強して一番難しい試験を突破してきたのに、欧米エリートに比べて自分たちの生活は恵まれていない」という不満や、自分の子供は厳しい競争をする必要がないとかエリートになるのは当然だという特権意識があるのではないか、と分析する。
 そして同著で「日本は英国においてはエリートたるべき者が示さねばならぬ責任感や自己犠牲が日本の偏差値エリートには欠如したまま、システムとして階級社会が押しつけれられようとしている」と林信吾氏は強い警告を発している。
 しのびよるネオ階級社会“イギリス化”化する日本の格差(林信吾著 平凡社新書)より一部抜粋。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 マスコミは「格差社会」と現在の日本の経済格差をオブラートに包んで表現するが、まさに現在の社会は完全に想像以上に二極化し、林信吾氏がまさに「ネオ階級社会」が出現し始めていると形容するほど、格差は広がっている。
 「フリーター階級」を容認している労働者切り捨ての日本の経済政策を見れば、氏が後書きで記したように、「ネオ階級社会」を元の機会均等な社会に戻すためにも我が国ではこのままでは多くの労働者が「ネオ階級闘争」に立ち上がらなければならないような時期に来ているといえるのかもしれない。


JRANK BLOGRANKING
現在の日本の経済格差の大きい「ネオ階級社会」を元の機会均等な社会に戻すために多くの労働者が「ネオ階級社会」阻止に立ち上がらなければならない、そう思う方はクリックしてください!
posted by 無名 太郎 at 23:36| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 格差社会を切る! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。