2006年10月15日

東京新聞は「新聞の重い責任を果たしたい」と言うけれど、「重い責任を戦争中も今もまったく果たしていない」というのが日本の新聞の現実なのです!

JRANK BLOGRANKING
日本の新聞・テレビなどのマスメディアは、広告主にはサラ金やパチンコ、出演者には新興宗教の推すタレントが溢れ、すでにタブーばかりで、批判できるのはアメリカぐらいであり、マスメディアには何ら正義を期待できなない、そう思う方はクリックしてください!
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東京新聞社説:「新聞週間に考える 重い責任を果たしたい」 (2006/10/15)
 北朝鮮による地下核実験の衝撃のなかで、きょう十五日から第五十九回の新聞週間。あらためて思うのは、試練に立つ新聞とその責任の重さについてです。
・・・略・・・
■ネット社会に立ち向かう
・・・略・・・
 新聞の内容ではなく、個別配達制度こそネットの及ばぬ優れたシステム。新聞の総発行部数、普及率を世界に冠たるものにした、という識者もいます。
 このほか「ネットでは分からぬ真実ここにある」(和歌山市・田中克則さん)「見分けよう確かめようあふれる情報新聞で」(名古屋市・早川吉彦さん)「宅配に人のぬくもり世間の動き」(茨城県日立市・渡辺忠夫さん)「メールより配る心と読む支え」(徳島市・宮城一成さん)−。インターネット社会に立ち向かう新聞、その応援歌が最近の新聞標語の特徴のようです。
■実名は人間存在の証し
 新聞週間に向けて開かれた本紙のご意見番たちの「新聞報道のあり方委員会」では、政治報道、戦争の検証、実名と匿名報道問題が大きなテーマでした。
・・・略・・・
 昨年四月の個人情報保護法の施行以来、警察が被害者の実名を伏せたり、行政が懲戒処分の公務員名を明かさなかったりなどが急増しています。もともと秘密主義や事なかれ主義体質の組織、予想されたことですが、人権やプライバシーに名を借りた情報隠しが多いのです。
 少年事件や性犯罪などを除いて、新聞がなぜ実名報道にこだわるのか。
 実体的真実の追求、国民の知る権利のために、記録と歴史への責任などさまざまな理由がありますが、考えさせられたのは、昨年十一月、下校途中に殺害されてしまった広島市の小学一年生、木下あいりちゃん(当時七歳)のケースでした。父親の建一さんが実名での報道を訴えたのです。
 「娘は『広島の小一女児』ではなく、世界に一人しかいないかけがえのない『木下あいり』なんです」。名前はたんなる符号ではなく、人間の実存と歴史の象徴。匿名では人間存在の否定になってしまうというのでしょう。実名報道にこそ人間の尊厳の思想が込められているように思えるのです。
・・・略・・・

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 今急速なインターネットの普及によって、テレビや新聞の嘘が次々と見破られ、それまで自分たちこそマスメディアの王様であったそのテレビや新聞の立場が極めて危ないものになっている。
 そうした危機感から日本の新聞やテレビなどのマスコミがインターネットを否定するような世論作りがここのところ顕著に見られる。
 ネットを怪しげな匿名社会だと決めつけ、一見自分たちは正義の実名報道をしているかのように主張しているが、実名報道はもっぱら被害者ばかりで、犯人や在日外国人などの通名報道なども日本の新聞・テレビには目立って多いというのが事実ではないだろうか?
 また、実名報道をウリにしようとしても、タブーばかりで何も報道しないのだとしたら、多少の真実性に問題があっても匿名報道のほうがまだましだと言えなくもない。
 残念なのは、日本の学芸会マスコミが自らを反省し、現在の新聞・テレビの報道のあり方を自己批判しないまま、多くの国民が支持しているネットを敵視していることである。
 近年、ネットを含め日本の社会でメディア・リテラシー[media literacy](情報メディアを批判的に読み解き、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)が話題になってきたのは、日本の新聞・テレビなどのマスメディアに情報選択や批判能力を期待できないことがネットを通じて多くの国民に知れ渡るようになったことがその原因である。
 事実、日本の新聞・テレビなどのマスメディアは、広告主にはサラ金やパチンコ、出演者には新興宗教の推すタレントが溢れ、広告主を批判できないこともあって、すでにタブーばかりで、批判できるのはもアメリカぐらいといったていたらくで、日本の新聞・テレビなどのマスメディアには何ら正義を期待できないというのが、日本の国民の本当の感想であろう。  
 東京新聞は、新聞週間に当たって「重い責任を果たしたい」と言うが「重い責任を戦争中も今もまったく果たしていない」と言うのが、日本のマスメディアの情けない現実なのである。
 そのような現実を見れば、重い責任を無理に背負わされている日本の新聞の宅配制度などはいっそのこと廃止して、重い責任を軽くすることこそ、日本国民に正しい情報選択をもたらすために最も利益のある選択ではないだろうか?

JRANK BLOGRANKING
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2006年08月03日

マンガ「嫌韓流」批判に反論する! ところで、巨人はとうとう最下位、今度はいよいよ「TBS」にも「あの国のあの法則」発動か?

JRANK BLOGRANKING
最近のテレビ局はおかしい、特にTBSはおかしいが、中でもあの亀田戦はおかしい、亀田選手は絶対負けていた、そう思う方はクリックしてください!

 マンガ「嫌韓流」についての批判に以下の主張がある。
 すなわち、マンガの中では、朝鮮人は(えらが張っていて、←同志社大学専任講師の板垣竜太氏には何故か指摘がない)目がつりあがり、よくどなり、わめくと描かれているという風に「ステレオタイプ化」しているというものだ[朝鮮新報 2006.7.10より]。
 しかし、反論を言わせてもらえば、日本人にそうした顔の造作までステレオタイプ化を招いているのは、韓国人や在日韓国人自身が日本人に植え付けようとしているものだ、そう思えて仕方がない。
 全体としては多くはないのかもしれないが、確かに韓国人の中には日本人に似た顔の造作をした者もいるし、中国人に似た顔の造作の者もいる。けれども、なぜか日本のコマーシャルでも在日韓国人が使いたがるタレントはどう見てもえらの張っているなどいかにも「韓国人」であるというようなステレオタイプ化された韓国人的なタレントばかりを意図的に使いたがっているような気がしてならない。
 いや、むしろそうした日本人似の顔や中国人似の美男美女は韓国では好まれないとか、役者としてもなかなか使ってもらえないとか言う話さえ聞いたことがある。
 実際には、例えば、日本人でも中国人でも「えら」が張っている者はいるが、そうした顔はやはり日中韓いずれの国でも美人やハンサムの分類から除かれると思うのだが、コマーシャルでは意図的にか、一目で(在日)韓国人と分かるような決して日本人好みではないような美人でもハンサムでもないタレントをコマーシャルで最近はやたらと目にすることが多い。
 一体何のためにそんなことをしているのだろうかと考えると、「韓流」を日本で盛んに作りたがる在日韓国人や韓国人が、あの国の国旗そっくりのコーラ会社のロゴマークに見られるように、やはり韓国や韓国人の存在を顕示するためのマーキングなのではないか、そう思えて仕方がない。
 それを裏付けるかのように現在日本で儲かっているビジネスは医者や弁護士は言うまでもなく、宗教法人などの非課税業種や、パチンコ、サラ金、生命保険、結婚紹介業、美容整形業、人材派遣業などいわゆる「人の不幸を飯の種にするような業種」だと言われ、この分野での在日韓国人の活躍が異常なほど目立つが、何故かコマーシャルに起用するタレントや俳優は韓流タレントや在日韓国人など何らかの意味で韓国に関係のあるタレントばかりを意図的に起用する傾向が多いような気がする。
 また、容貌以外の思想的な面から見てもなんでもかんでも「差別」だと主張したり、「外国人参政権」を要求したり「天皇制」を否定するなど日本に何年住んでも日本人や日本の文化を否定しているかのように感じられるまさにステレオタイプ化された反日的な在日韓国人ばかりが目立つ。
 それが証拠に日本と日本人を弁護するような親日的な呉善花女史などといった親日的な韓国人はテレビの露出も極めて少なく、日本のマスコミに登場する在日韓国人は、容貌もいかにも韓国人っぽいだけでなく、いつまでもたっても生まれ育った日本よりも、韓国だけが祖国だとしか思っていないような極めて民族主義的なにおいが消えない姜尚中氏や辛 淑玉氏などといった在日韓国人や韓国人などの日本に批判的な人物の主張しか聞こえてこない。
 現実には、韓国では親日派と認定されると弾圧されるなど、親日を口に出来ない信じられないほどお寒い事情はあるようだが、そうした韓国を強く批判したり日本や日本文化を擁護したり、行き過ぎた在日韓国人の主張を厳しくいさめるといった在日韓国人の主張も何故かあまり聞こえてこない。
 それはやはり韓国人や在日韓国人が「民族至上主義」のため自分たちを客観的に見つめられないことがなせるわざなのではないかと言う気さえする。
 それが結局、どうしても韓国人や在日韓国人を日本の若者が好意的に見られないことも手伝って、日本人に韓国人や在日韓国人と言えばあまり日本人には美男美女ではない「韓国人的な容貌」や「反日」と言うステレオタイプ化の後押しをしてしまう。
 だから、日本人のイメージでは韓国と言うと『なんでも日本のせいにする民族至上主義国家』とか『民族至上主義のため韓国の試合はいつもホームタウンディシジョン』などと言った「依怙贔屓」と言うイメージがつきまとうが、そうしたステレオタイプの責任はやはり韓国人や在日韓国人にあるのではないか、私にはそう思えてならなかった。
 ところで、これはちょっと話が飛躍するかも知れないが、8月2日の亀田戦は、そうした韓国や韓国人の持つステレオタイプ化された「依怙贔屓」と言う『韓流』の持つマイナスイメージを多くの日本人に植え付けたのでないだろうか?
 なぜなら、詳しい事情は知らないがこのプロボクシング戦の興行の関係者になぜか在日韓国人や韓国人が多いのではないか、そんな印象を持たざるをえなかったからだ。
 事実、例えばコマーシャルもパチンコの会社がスポンサーになっていたし、「在日韓国人」とも噂される有名歌手の歌をこれ見よがしに盛んに流し「日本人を勇気づけてきた」とか言うフレーズがまるで視聴者に「在日韓国人は日本人のために貢献してきた」と言わんばかりに流されていた。
 そればかりではない。中立とは言え審判の中にもやはり何故か「あの国の人」が混じっていることも何か関係があるのだろうか、と邪推させるに十分な設定だった。
 しかも「あの国の人」に人気のある某団体との強い結びつきがあるとも噂されるTBSで行われたことを考えると、文字通り「韓流」の環境は全て整ったということになる。
 ワールドカップでも、「あの国」が関わると何故か日本人には「到底理解できない判定」が試合でしばしば見受けられたが、「このプロボクシング戦もいわゆる『韓流』なのではないか」と試合を見終えて感じたのは、そして亀田選手の後ろ姿が作られた戦後のヒーロー「力道山」と一瞬ダブって見えたのは、まさにこれこそが日本人にステレオタイプを植え付けた良い見本ではないだろうか。
 今回の件でただひとつ残念だったのは、あれほどおかしな試合結果でも亀田選手をもてはやすその姿に今までは好感を持っていた三雲さんまでが嘘嘘しく感じられ、TBSの局員全員の存在までが嘘嘘しく感じられたことである。それこそはまさしく私にとって「TBSは報道もスポーツも全てがねつ■■●ン●キメディア」「いくら抗議電話が殺到しても生出演させまくりの■■知らず局」というステレオタイプが文字通り生まれた瞬間だった。
 「ステレオタイプ」の原因には、やはりそう一般化される方に相当の原因と理由があることは紛れもない事実なのである。

JRANK BLOGRANKING
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2006年05月27日

韓国人が日本人を助けると何故日本では大きなニュースになるのか?(6月2日付け朝日新聞「声」欄を読んで:追加改訂第4版) そこには日本のマスコミなどの何らかの意図はないのか?

JRANK BLOGRANKING
韓国人が日本人を助けると何故日本では大きなニュースになるのか?そこには日本のマスコミなどの何らかの意図はないのか?テレビ・新聞などの日本のマスコミの報道姿勢には疑問を感じると思う方はクリックしてください!

 韓国人留学生が東京のJR新大久保駅で線路に落ちた日本人女性を助け上げ、また日本の毎日新聞や朝日新聞などの新聞やテレビに大きく取り上げられている。
 同駅では2001年1月26日に韓国人留学生が酒に酔って線路に落ちた日本人を助けようとして死亡している。
 今回の韓国人学生も偶然にも2001年に死亡した韓国人就学生が通っていた同じ日本語学校に通っているそうだ。
 線路に飛び込むという行為は大変危険な行為であることを考えると、この韓国人学生の行為は立派な気持ちから自然に出た行為なのかもしれない。
 しかし、なぜまた新大久保の駅なのかというのは考えなければならない問題だ。
 なぜなら、新大久保にはすでに前回の事故を受けて、線路に飛び込むことがないように対策を講じていたはずだからだ。
 また、たとえ立派な気持ちで線路に飛び込んでも前回のように電車にひかれて死んだらそれは必ずしも賞賛すればいいというものではないのではないだろうか。
 前回、一緒に飛び込んで助けようとして亡くなった日本人のご両親が、息子は線路に落ちた人も助けられず残念な死に方になってしまったと肩を落としていたように記憶しているが、前回誰も助からなかったということも忘れてはならない事実である。

 ところが、5月28日(日曜日) の釜山日報は『日本に再び感動を与えた韓国人留学生』と題する「社説」において今回の件を賛美し、「当時、プラットホームには多くの日本人がいたが、戸惑ってばかり・・・略・・・日本人が失った真の勇気を見せたのだった。」とその救出劇を伝えているが、同社説は
1.救出しようとした韓国人就学生だけしか触れておらず、同事故でやはり助けようとして亡くなった日本人のカメラマンの関根史郎さんについては全く触れていないという点、さらに
2.実際には線路に落ちた日本人を救出できなかったのに、「韓国人留学生が泥酔して線路に落ちた日本人を救出後、列車に轢かれ、亡くなった」としているなど、大変な事実誤認が認められ思い込みとも言える報道をしている点、
 において韓国の新聞だから仕方がないという意見もあろうが、韓国にしろ日本にしろ、マスコミは事実を正確に伝える必要性があるのではないかと思われるような報道のされ方がなされている。

 しかも間違えて報道しているのは韓国の新聞だけではないのだ。
 驚くべきことに、読売新聞系の本来情報の正確さを要求されるべき日本のメディア「日本テレビ」のザ・サンデーまでもが、ナレーションとテロップの両方で「5年前に新大久保駅で男性を救出、みずからは電車にはねられ命を落とした」という5年前の新大久保のホーム転落事故のことについて明らかに事実とは違う報道をおこなっている。
 前述したとおり、実際には日本人も一緒に救出しようとしたが、結局救出出来ずに、三人とも死んでしまったのにもかかわらず、5年前の事故が韓国の新聞と同様に意図的と思えるほど、「韓国人が自分の身を犠牲にして日本人を救った」という美談の構図に書き換えられてしまっているのである。
 いくら何でもこの報道の仕方は事実を照らし合わすとあまりにもひどすぎるのではないだろうか?
 そして韓国人就学生と共に亡くなった日本人のカメラマンの関根史郎さんやそのご家族に対しても大変失礼でもある。
 それとも、マスコミの方々はあの事故をあまり知らないのだろうか?
 知らないのなら、なおさらマスコミは事実をしっかり調査し報道する責任があるのではないだろうか?
 これでは、どこかのスポーツ新聞のネタの「私は宇宙人と会ったことがある」と言う話と全く変わらないどころか、多くの視聴者が信じ込んでしまうという責任や影響力の大きさを考えると三流ゴシップ紙にもはるかに道義的にも劣る報道になってしまっている。

 さて、ネットではそしてこの美談となった救出劇に対して、なぜ日曜日の早朝起きたのにもかかわらず、これほど大きなニュースになっているのか、女性を一人で持ち上げ助けたのかなどという声もあがっている。
 そして、日本の新聞やテレビなどのマスコミはただ見ているだけで何もしない日本人に対してステレオタイプの形成を意図するかのような「勇敢で立派な韓国人男性が日本人女性を救う」というような美談の構図を日本のマスコミがよほど作りたいのではないか、という批判も聞かれる。
 人の善意をひねくれて解釈するなと言われそうだが、そうした2ちゃねらーなどの今回の行為に対する冷ややかな対応や批判も極めて当然な反応ではないだろうか?
 なぜなら、昨今の韓流ブームといい、テレビや新聞などのマスコミが、韓国人の美談だけをことさら強調しているとしか思えない何らかの意図が感じられる状況が日本のマスコミ界を覆っていることも否定できないからだ。
 また、一部の番組で「非常停止ボタン」がある事について触れず、日本のマスコミが救出劇を推奨してる事についてはJRからマスコミに注意してほしいという様な要望もあるように、こうした今回のように線路に飛び込む必要のない防止策も無視できないからである。
 私はこうした自然な外国人学生の行為を日本の新聞やマスコミが無理に美談にすればするほど、かえって本人の意図とは別に色々な思惑を持つ人達の美談として一人歩きする危険があるのではないかと思っている。
 言葉は悪いが、そうしたごく自然な外国人学生の行為を売名に利用しようとしたり、金儲けをしようとしたりする大人が世の中にはたくさんいるからだ。

 事実、この韓国人学生の行為が善意で行われたとしても、助けられた本人ではなく、もしその行為を美談として取り上げてもらいたいがために関係者などが積極的に新聞社などに通報するなどして働きかけたとすれば、単なる美談ではすまなくなるのではないだろうか?

 それにしても、お花畑の日本の新聞やテレビなどのマスコミはすでに週刊誌よりその質を下げており、今回の件でどこまでも一生懸命に美談仕立ての報道を日本のマスコミが繰り返すのを見るに付け、もはや現在においては、テレビ局や新聞を保護する必要など全くなくなってしまったことをあらためて痛感したが、ブログをご覧の皆様はどうお感じだろうか?

 (5月31日追記=まとめ)
 若者達がマスコミのいい加減な報道姿勢に怒っている。  
 それなのに、脳天気なマスコミは反省などないどころか、若者の怒りが全く分からないようだ。少なくともそうしか見えない。
 このあいだの「NHKの荒川静香選手日の丸ウイニングラン隠し疑惑」といい、今回の件といいマスコミは自分たちが都合が悪くなると多くの国民の疑問にスルーするだけで、報道に対して責任を持っていないという体質が露わになってきている。
 しかし、その怒りの矛先は、様々な規制で自分たちをしっかり守っているつもりでも、必ずや将来テレビや新聞などのマスコミに対する大きなしっぺ返しとなって返っていくだろう。「驕れる者久しからず」である。
 ところで、今月号のWILL7月号は新聞がサラ金の広告規制を外したことによって新聞が社会的正義感と使命を失い堕落の一途を辿っていることを伝えているが(後日ブログに関連記事掲載)、サラ金やパチンコのCMで溢れるテレビにはもはや、人間の善意を上っ面でとらえる力しかなくなっているようだ。
 多くの雑誌が指摘するように、テレビが使いたがるお決まりの評論家の質の悪さがそれを証明している。
 今回の件を見ても、日本のテレビはニュースソースを含めて新聞などのマスコミの報道姿勢は学生新聞以上に未熟であることを反省すべきである。
 そして、映画の宣伝ならいざ知らず、「人間の善意とは、人に感謝を求めたり求められたりするようなものではなく、もし相手に感謝を求めるなら、すなわち無償の行為でなされていないのならそれは善意でも何でもなくなる」ということをマスコミは肝に銘じるべきであるということをブロガーとして主張してこの件に対するまとめとしようと思う。

★★★6月2日朝日新聞「声」欄「駅での人助け またも韓国人」を読んで★★★
 
 6月2日朝日新聞「声」欄「駅での人助け またも韓国人」投書が掲載されている。
 朝日新聞ともあろうものが、この投書をそのまま掲載するのは大変問題があるのではないだろうか?
 なぜなら、この投書に書かれているソースとなる5年前の事故が事実と大きく違うからである。
 投書では「ホームから転落した女性が、またもや韓国人留学生に助けられました。」そして、「2度も韓国の方に助けてもらうしかなかったなんて、情けないことです。」と記述して、韓国人が前回の事故で日本人を助けたとしているからである。
 ところが、この事故については、何度もこのブログで書いているように、5年前の事故で助けられた人はいなかったというのが事実である。
 しかも「2度も韓国の方に助けてもらうしかなかった」という書いてあるが、実際は日本人カメラマンも一緒に助けようとしたが、結局誰も救出できずに3人とも亡くなったというのが事実である。
 この2点において大きく事実と異なっているのを見れば、今回の件で「政府も何らかの礼を尽くすべき」とか同投書者が主張する「韓国人は立派で、日本人は自分さえよければよい」と言う主張には思い込みあるいは事実誤認が見られ、同投書の正しさに疑問を持たれても仕方がないのではないかと思えるからである。
 それにしても三流週刊誌ならいざ知らず、社会の木鐸を自認する天下の朝日新聞がこれでよいのだろうか? 
 大新聞である朝日新聞は、仮に読者の声の欄であれ、こうした間違えた事実に基づく投書には、しっかりと手を入れ直す責任があるからである。
 今回の投書の掲載について朝日新聞には猛省を期待したい。


JRANK BLOGRANKING
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